2011年3月15日火曜日

◇東京電力と社会的責任①

故意であろうとなかろうと、自らが社会に与える影響については責任がある。


ドラッカーの言葉です。

ドラッカーは企業は社会から生かされている存在であり、したがって社会に与えた影響については逃げ隠れできないことを指摘しました。

もっともはやくCSR(企業の社会的責任)についての提言を行った人物の一人といえます。

昨日のブログで東京電力のコンプライアンス違反事件について言及しました。

1日経過し、福島第一原発の事態が急展開しました。

時間の経過に伴って東京電力が頻繁に記者会見を開きましたが、それをご覧になった方は例外なくイライラされたことと思います。

長々とした会見の中で最も知りたい情報について全く触れられないからです。

これはひとえに形式主義のコンプライアンス対応の問題といえると思います。


以前、私が雑誌のデータベース向けのビジネスレポートとして書いたコンプライアンスについての文章を抜き書きします。


企業不祥事の原因は多様ですが、類型化すると利益至上主義、保身・私利私欲、反社会勢力との癒着、事なかれ主義・隠ぺい体質、拙劣な危機対応などがあげられます。

そして、それらはさらに

① 人の心にかかわるもの

②  会社の仕組みにかかわるもの

の二つに大きくわけることができます。

まず①は「経営風土」と呼ばれるものがそれに当たります。

それは各種規定等に明文化されているものではなく、各人の言動やちょっとしたコミュニケーションの総体等によって形作られるものです。‥‥



今回の東京電力の対応は、「事なかれ主義・隠ぺい体質、拙劣な事後対応」がはっきりと見え隠れしています。

あまりにわかりやすいため、国民の怒りを買っているのであると思います。

怒りの本質にあるのは、広報担当者に見え隠れる「当事者意識の欠如」です。

今回の問題は、最悪の場合には国家の崩壊を招くほどの状況です。

それにもかかわらず、ペーパーを朗読することに終始する社員たちにはなんら責任の重さを一身に背負っている雰囲気を感じさせません。

ここが最大の問題点といえると思います。

(つづく)





(浅沼 宏和)