2011年3月18日金曜日

◇米政府の援助打診を辞退した件について

yahooニュースに以下の記事がありました。

東京電力福島第一原子力発電所の事故を巡り、米政府が原子炉冷却に関する技術的な支援を申し入れたのに対し、日本政府が断っていたことを民主党幹部が17日明らかにした。


 この幹部によると、米政府の支援の打診は、11日に東日本巨大地震が発生し、福島第一原発の被害が判明した直後に行われた。
米側の支援申し入れは、原子炉の廃炉を前提にしたものだったため、日本政府や東京電力は冷却機能の回復は可能で、「米側の提案は時期尚早」などとして、提案を受け入れなかったとみられる。


 政府・与党内では、この段階で菅首相が米側の提案採用に踏み切っていれば、原発で爆発が発生し、高濃度の放射性物質が周辺に漏れるといった、現在の深刻な事態を回避できたとの指摘も出ている。



 福島第一原発の事故については、クリントン米国務長官が11日(米国時間)にホワイトハウスで開かれた会合で「日本の技術水準は高いが、冷却材が不足している。
在日米空軍を使って冷却材を空輸した」と発言し、その後、国務省が否定した経緯がある。
 
 
 
もし事実であれば論外な対応です。
 
ドラッカーは成果をあげる大前提として真摯さについて述べています。そして最善を尽くす姿勢について強調しています。
 
 
私は研修において「最善を尽くす」ことの意味を次のようなたとえでを使って説明してきました。
 
 
質問
 
身内が重度の脳外科手術を控えていたとする。
 
「神の手」と呼ばれる有名な脳外科医が執刀すれば助かる確率が高い。
 
だが、かかりつけの病院の医師のスキルはカリスマ医師に比べれば低い。
 
仮にかかりつけの医師の執刀によって患者が助からなかった場合、この医師の責任は問われないだろうか?
 
またどのような条件を満たしていればプロフェッショナルとして十分な職責を果たしたと言えるのだろうか?
 
 
この回答の基準が「最善を尽くす」「知りながら害をなすな」です。
 
まず、このかかりつけの医師があらゆる手だてを尽くしていたのか?ということです。
 
仮に自身のスキルでは成功の確率が低く、カリスマ医師にお願いすれば治癒する可能性が飛躍的に高まるのであれば、このカリスマ医師の執刀をセッティングするよう努力すべきであるということです。
 
諸事情からそれができず、この患者が頼りうる範囲内において自身の執刀が最も可能性が高いのであるという事情があって、この手術が正当化されうるということです。
 
これが「知りながら害をなすな」ということです。
 
 
また、実際の手術においても「これ以上ほんのわずかな付け加えもできないほどに手を尽くした」という確信を持てたかという基準です。
 
これが「最善を尽くす」ことの約束を果たしたかどうかの実質的基準です。
 
そしてこれは執刀者本人にしかわからないことですが、その時に「神々が見ている」という、自身の良心に尋ねてみて答えを出すということです。
 
 
この心構えのことを「真摯さ」とドラッカーは表現しています。
 
 
上記の記事が事実であるならば、政府と東電の対応は歴史的な大失態です。
 
加えてプロフェッショナルの倫理基準も満たしていません。
 
 
今週は延々と原子炉問題を扱っていますが、この件は日本の歴史上まれにみる影響を与えた事例ですので、予定を変更して一定の落ち着きを見せるまで、ドラッカーのマネジメント論との対欧関係も含めて検討し続けていきます。
 
 
 
(浅沼 宏和)