2011年5月12日木曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑩

柳井氏のユニクロ一号店を出店したのは1984年です。

そのコンセプトは

10代の子供たち向けに流行に合った低価格のカジュアルウェアをセルフサービスで提供する

ことでした。

当時はバブル景気の助走期で、ファッション業界では高額なDCブランドが全盛期を迎えていました。

そうした店の商品は値段が高いだけでなく「ハウスマヌカン」と呼ばれる販売員がいてお客さんにとって敷居が高いものでした。

柳井氏はこうした風潮の逆を行ったわけです。


気軽にカジュアルを買える店として商品は1000円と1900円を中心にそろました。


柳井氏の父親はユニクロ出店に反対でしたが柳井氏はそれを押し切って開店しました。

結果としてユニクロは大成功をおさめました。


開店直後から大盛況で、最初の二日間は入場制限が必要なほどだったそうです。

客でいっぱいの店内を見て、柳井氏「金の鉱脈を掘り当てたような感触を持った」そうです。


この時の小郡商事の売上高は14億円、店舗7店 柳井氏はまだ35歳でした。


翌1985年に下関郊外にロードサイド型の2号店を出店。このときにユニクロの商品戦略が固まります。


休日に遠方から車に乗ってカジュアル衣料品を買いに来る20~30代のカップルやファミリー客を見て、柳井氏はユニクロの品ぞろえの基本となった3つのことに気づきました。


1、カジュアル衣料品には年齢・性別に関係なく需要があること


2、流行の商品よりもベーシックな商品により大きな需要があること


3、ナショナル・ブランド以外のプライベート・ブランドであっても顧客のニーズに合っていれば十分需要があること。

でした。

柳井氏はこれ以降、ユニクロの対象顧客をノンエイジ、ユニセックスとしてトレンド商品よりもベーシックな商品を中心に据えて売り場を組み立てる方針ととりました。

この方針は今もそのまま引き継がれています。



(浅沼 宏和)