2011年5月8日日曜日

書評-「ユニクロ帝国の光と影」⑤

ユニクロが上場を果たしたのは1994年です。しかし、その後は業績の低迷見舞われ、3年連続で業績の下方修正を余儀なくされました。


店舗数を増やしたため売上は増えましたが、肝心の利益率は低下したのです。

低迷を脱しようと考えた柳井氏は、スポーツ衣料専門の「スポクロ」と、ファミリー向け衣料品専門の「ファミクロ」を立ち上げたのですが、これらはいずれも大失敗となったのです。

顧客にはこの3つの違いが分からなかったうえに、二つのブランドに商品を回したために、本体のユニクロに欠品が生じるという大きな問題が生じたのです。

かき入れ時の年末商戦では、対前年比でわずか10%台という超低空飛行を余儀なくされました。


柳井氏はこの時、心底から危機感を感じ、抜本的な経営改革に乗り出しました。

アドバイザーとなったのが伊藤忠から転職してきた澤田貴司氏でした。

澤田氏の助言に基づき、柳井氏は当初の目標であったSPAとしての経営スタイルの徹底を図ったのです。

これが「ABC改革(All Better Change)」でした。

ABC改革のポイントは、「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定して作るかの作業に焦点を合わせる」ことでした。

これは非常に具体的な戦略的方向性です。

それは商品を100%買い取ることを前提に、企画・生産から販売まで串刺しにして一社で管理することで可能になることでした。

主な具体策は次の通りです。



1、 中国の委託工場をそれまでの140か所から40か所に絞り込む


2、 生産を委託していた国内のメーカーを中抜きする


3、 それまでの季節ごとの400品番を200品番以下に絞り込む


4、 顧客との接点である店舗を起点にして会社を運営する


5、 店舗の販売データをもとにして、中国工場での生産の進捗を週単位で見直す


これらがユニクロをトップランナーに押し上げた重要な打ち手となりました。

これらは浅沼式ドラッカー戦略マップでいうところの成果を支える土台、特に生産性にかかわる打ち手という位置づけになる施策です。



(浅沼 宏和)